これから折りにふれて、フェミニズムやフェミニストを批判する女性たちを紹介していきたい。第一回目はカミール・パーリア。
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カミール・パーリアの名は、日本では知る人は少ない。翻訳されてゐるのは、『セックス、アート、アメリカンカルチャー』(河出書房新社、平成7年)と『性のペルソナ』上・下(同、平成10年)の二つのみ。でもアメリカでは、ファンクラブやディスカッショングループもあるほどの、ジャーナリズム界のスーパースターだ。
アメリカのフェミニストの間で、カミール・パーリアほど怖がられてゐる女性はゐない。彼女は愚痴や泣き言やばかり言つてゐるフェミニストを批判し、揶揄し、嘲笑する。彼女が攻撃するのは体制フェミニズムと体制アカデミズムだ。その姿勢は戦闘的で、ケイト・ミレット、グロリア・スタイネム、ジャーメイン・グリア、スーザン・ファルデイら、有名なフェミニストたちを次々に機関銃でなぎ倒す。ベストセラー『美の陰謀』を書いたフェミニストのナオミ・ウルフなどはパーリアの餌食にされてゐる。
■「特大のおしゃぶり」
パーリアに言はせると、今のフェミニズムは女向けの「特大のおしゃぶり」である。
「《社会改革をめざすフェミニズム》はあいもかわらぬ楽天的な白昼夢だ。無条件の愛をスローガンする聖女きどりのフェミニズムは、憎しみと敵意に溺れた人間にとっての特大のおしゃぶりにすぎない。」
仕事と育児に振りまわされるワーキングウーマンなんて見ちゃいられない。
「女たちは自分の選んだ道に自分で責任を持ち、手に入れられなかった可能性について、泣き言を言うのをやめるべきだ。母性ほど重要なものはない―《慈しみの存在》だからではなく、母性があらゆる生命の根源であり、暗くあいまいな矛盾を内にはらんでいるからである。生後六週間の赤ん坊を託児所に放り込んで、さっさとオフィスに舞い戻ったあげくに、疲れた疲れたと悲鳴をあげている金持ちのヤッピーたちには、母性のかけらもない。」
すべてを手に入れようなんてのはナンセンス。仕事も家庭もパーフェクトなんてありえない。だが、フェミニズムは、「女がすべてを手に入れられる」といふ幻想をふりまいてきた。女性には「母性」「母なる自然」「母親の愛情」が備はつてゐる。だから夫もや託児所も、「本当の意味で母親の愛情の代りにはならない」のだ。
「《きみはなんでもできる。なんでも手に入れられる。現代の若い女性は母親になれるし、妻にもなれるし、そのうえキャリアウーマンにだってなれる》。そういうプレッシャ−に押しつぶされて、女はへとへとに疲れ、ますます頭がおかしくなってしまう。」
■デート・レイプの責任は自分に
パーリアが我慢ならないのは、フェミニズムに毒された女たちの甘へだ。有名なデート・レイプ論争で彼女は、デートした男にレイプされたと被害者づらをする女たちを切つて捨てた。
「そういう被害者意識こそ害悪のもと。みんなが、自分こそ犠牲者だと泣き言を並べる世界なんてまっぴらだわ。《わたしがこうなったのも、父のせい。わたしがこうなったのも、夫のせい。》 たしかに、わたしたちはたまたま受けたトラウマによって自分を形成するわ。でもそんな自分を受け入れてコントロールするのは自分であり、責任は自分にあるのよ。わたしの理論の中心には、個人で責任をとるべきだという考えがある。ところが最近の主張は泣き言ばかり。《どうして助けてくれないの、ママ、パパ》。」
レイプを初めて告発したのがフェミニストたちといふ考へは、男性に対する重大な侮辱であるとも言ふ。
「歴史を通じて、立派な男性はみなレイプを非難してきました。立派な男性は人殺しをしない。盗みもしない。レイプもしない。歴史をずっとさかのぼってもそうです。・・・長い歴史の上で、女が常に犠牲になりレイプされてきたということを、フェミニストが突然ひらめいたごとく発見したなどというのは、ばかげた考えです。レイプのような問題は女性学という視点から外して、道徳の領域に引き戻すべきです。それは道徳に関する問題です。男だけでなく、人間すべての問題です。」
レイプ・カウンセラーといふいかがはしい職業が、かうした風潮を煽りたてる。
「レイプカウンセラーときたら、殊勝げで説教くさいセックス談義にふけっている。善意の人たちには思いもよらないでしょうが、文化の領域をセックスカウンセラーに乗っ取られるような状況は、セックスをどれほど抑圧し、心をどれほど歪め、精神をどれほど損なうことか。」
■女性学は組織化された性差別主義
パーリアによれば、女性学は「組織化された性差別主義」にほかならない。フェミニストが要求するのは、男を去勢し、宦官にすることである。フェミニズムには気がふれた狂信者やカルト集団がはびこつてゐる。フェミニズムを代表するリーダーたちを見よ。彼女たちの視野の狭さ、現実的な政治知識の欠如、美学への無関心、感情むきだしの話し方。
「彼女たちの多くが潜在的な鬱状態、ないし感情的なアンバランスを抱えているようにみえた。その原因は《家父長制》ではなく、混沌とした家族の歴史であり、自分自身の判断の誤りにちがいない。」
パーリアの願望は官能と美の復権だ。女のパワーは美と性的魅力を通じて発揮される。パーリアはマドンナとエリザベス・テーラーを賞賛してやまない。
フェミニストを批判してゐるからといつて、パーリアは伝統的保守主義者ではない。かつては戦闘的なレズビアン・フェミニストで、今も女性のパートナーと暮らしてゐる。自分でも、ポルノグラフィの支持者であり、売春の支持者であり、同性愛の支持者である私が、保守主義者であるわけがない言つてゐる。自分のフェミニズムを「ドラッグ・クィーン・フェミニズム」と呼ぶ。「ドラッグ・クィーン」は「女装同性愛者」だ。
このやうに書くと、カミール・パーリアはただの八方やぶれの論争家みたいだが、根は真面目な研究者である(フィラデルフィア・ウイニバーシティ・オブ・ジ・アーツの人文学部教授)。西洋の性と美の様式を描いた『性のペルソナ』は、ニーチェやフロイトの著作のやうに歴史に残る古典と評されてゐる。
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