公民館なんかに行くと男性向けの講座が開かれてゐて、「男性のための料理教室」では、エプロンをつけた男たちが包丁片手に魚と格闘してゐる。「男性のための家事講座」では掃除と洗濯の講義に白髪まじりの男たちが聞き入つてゐる。
男性向けセミナーには「男性学講座」「男性改造講座」みたいに、濡れ落ち葉の男に夢を与へてくれさうな名前の講座もある。「男性改造講座」なんて聞くと六十男は三十代に戻れると錯覚してしまひさうだが、六十男が「男性改造講座」を受講すると大変なカルチャーショックを味はうことになるだらう。
なぜなら「男性改造講座」で教へられることと言つたら――。
「男性とジェンダー問題」「性別役割分業を考へる」「男たちはなぜDVに走るのか」「ケア労働で男が変はる」「男らしさからの解放」「男の非暴力ワーク」「男のあり方と児童虐待」・・・。
「アレレレレ。なんかオカシイな。オレ、男性講座に来たはずなのに」と思つて資料をよく見ると「主催・○○市男女共同参画課」と書いてある。つまり「男性改造講座」の正体は「フェミニズム講座」だつたのだ。
■フェミニズム講釈師
男性運動の本家はやはりアメリカだらう。森に集結して何やら秘儀を行つて男らしさを取り戻すグループだとか、離婚に際して男に親権を取り戻すための運動とか、女に殴られた男たちの被害者の会とか、あきれるくらいバライエティに富んだ男性運動が存在する。
アメリカの男性運動は、男らしさを追求するマッチョ運動と、反フェミニズム運動に大別される。学校や会社で女を優遇する逆差別でひどい目にあつた男たちが増えるにつれ、反フェミニズム運動も勢ひを増してゐる。
ところが日本の男性運動ときたら、男性学・メンズリブ・男性運動とは名前だけ。実態はフェミニズムに奉仕するための男性学で、「フェミニズム男性学」と呼ぶにふさはしい。
市民講座で男性学の講師をやつてゐる男は、言つてみれば「フェミニズム講釈師」だ。フェミニズム講釈師は講義のはじめに、「男であることに息苦しさを感じてゐるみなさん」と語りかける。
《息苦しさからのがれるために、男らしさを捨てませう。日本の女性差別の問題を解決するためには、まず男性の意識や生活スタイルを変へなければいけません。男性の優位と女性の従属といふ現在の社会構造的力関係からセクハラやドメスティック・バイオレンスが起こるのです。でも、みなさん。実はみなさんもジェンダー社会の犠牲者なのです。現在の性差別社会を形成してゐる家父長制度を打破すれば、みなさんも社会の抑圧から逃れられるのです。さあ、男の束縛から逃れませう! ジェンダー・フリーに生きませう! 》
■ポルノもテレクラも抑圧の産物
「フェミニズム男性学」によると、アダルトビデオも、ポルノ雑誌も、インターネット・ポルノも、テレクラも、ソープランドも、買春も、男がリストラに怯え、過度な労働を強いられる抑圧社会の産物だ。アダルトビデオやポルノ雑誌なしでは生きられない君も安心していい。君の「病気」の原因は「抑圧社会」だ。
「フェミニズム男性学」の大切なキーワードは「買春」である。メンズリブを名乗るサークルでは、四十代、五十代の男たちが「実は私は学生時代に五回も女を買つてしまひました」「実は私は会社勤めをしてゐる頃、主張先のタイで女を・・・」と過去の買春の懺悔をして癒し合つている。
果ては、慰安婦問題で日本人男性を代表して謝つたり、「もう二度と買春はしません」と誓ひを表明したり、この連中、「男であつてすみません」と頭を下げてばかりゐる。
自分が学生時代にゲバルト闘争に走つたのは、ジェンダー社会が悪いんだといふ珍説を披露する男も出てきた。メンズリブ運動のリーダー格の五十男だ。
ゲバルトに強くなければならない、対立セクトに勝たなければならない、攻撃的でなければならない。かうした権力志向は実は自分の中の「男らしさ」に起因したもので、本当は自分はゲバ棒なんか奮ひたくくなかつた、みんな自分の中の男性ホルモンが悪いんです!
革命ゴッコで火炎瓶を投げてたのは、お前が馬鹿だつたからだと言ひたくなるが、「フェミニズム男性学」は自分の馬鹿さ加減を「男」の責任にしなければ成立しないといふ特質を持つてゐるので始末が悪い。
濡れ落ち葉諸氏よ。
諸兄らが五十、六十になつて男としての生き方を見失ひ、何かにすがりつきたくなる気持ちは理解できぬでもない。しかし「男性学」だけはやめておいた方がよろしい。「男性学」の門をたたく位だつたら犬の散歩でもしてた方がいい。
(平成14年3月5日記 )
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