夏目漱石は女の着物が好きで、あでやかな妻の着物を身に体にまとつては鏡に見とれ部屋中歩き回つてゐたといふ。妻の鏡子が『漱石の思ひ出』に書いてゐる。それを見てゐたのが妻だつたからいいものの、もし漱石が赤い着物を着て学校へ行き教壇に立つたなら、即日一高教授の職を失ふことになつただらう。
「昭文社」が女装を始めた男性社員をクビにしたのは、極めて妥当な措置といふべきである。この社員は「性同一性障害」だと主張してゐるが、心理学や精神分析学をまつまでもなく、男の中には女になりたといふ願望がひそんでゐる。女のドレスを着たい、ハイヒールをはきたい、女の下着をつけたい、口紅を塗りたい・・・。
だが男が全員その願望を実行に移せばオフィスはたちどころにソドムに変貌する。
朝、会社に出勤すると見慣れない女がとなりのデスクに座つてゐる。
「おはよう。ところでアンタ誰?」
「田中です」
「ああ、田中君だつたの。あのネ、きのう頼んだ企画書もうできた?」
ある日突然女に変身した同僚を目の当たりにして、このやうに何事もなく進行してゆくことはありえない。人間社会には、相手が男であるか女であるかを見極めてから物事が始まるといふ慣行がある。商談に現れた人物が両性具有的人物で男か女か見極めがつかなければ、決して仕事の話に入ることはできない。
そもそものこのごろやたらに出てくる「性同一性障害」といふ言葉がよくない。性同一性障害。なんだこの日本語は。 gender
identity disorder の直訳。つまりジェンダーのアイデンティティをもつことに障害( disorder
)を覚えること。肉体的な性に違和感を覚えること。要するに一般的に服装倒錯者、異性装嗜好者、性倒錯者と呼ぶ人たちのことだ。それなら以前のやうに性倒錯症とか性転向症と言つた方がよつぽど分かりやすい。
体と心の性が一致しないのを性同一性障害と呼ぶなら、貧乏人は「金同一性障害」だ。本当は金持ちになりたいのに貯金の現実と一致しないのだから。
「性同一性障害」の人々の多くはジェンダーフリー社会を夢見てゐるといふ。戸籍や住民票から性別の欄をなくする。男と女といふ区別を一切やめて人間A、人間Bと分類する。かうすれば性同一性障害の人たちもコンプレックスを抱かずに暮らすことができるとかれらは主張する。私はこのやうな主張をする人は性倒錯症よりも思考倒錯症を患つてゐると思ふ。ホルモンの変調などによつて苦しんでゐる不幸な人々を救済するのは医学の力によるべきであり、既存の社会制度をいじくり回して達成すべきものではない。
吉永みち子の『性同一性障害』(集英社新書)といふ本によると、ドイツである村の村長が「これからは女性として執務したい」とカミングアウト(同性愛などを表明すること)した。この村長には妻と子供もゐて肉体的にも法的にも男なのだが、ずつと女性として生きたいと思ひ続けてきたといふ。しかし議会は解任決議をして、村民によるリコール投票が行はれ、結局賛成多数でリコールが成立した。
村民は実に正しい判断を下したと思ふ。村民は村長が女性となること自体に反対したのではあるまい。自己の地位と女性となる「特権」の両方を手にしようといふ甘い期待を抱く人物に不信を表明したにすぎない。
この村長の甘さは、たとへばアメリカ大統領がカミングアウトしたことを考へれば理解できるだらう。就任一年後のある朝、スカート姿に濃い化粧をした大統領がオーバルオフィスに現はれる。そして国民向けにテレビ演説を行ふ。
「国民のみなさんにお伝へしたいことがあります。この通り私は今日から女になりました。名前もマイクからジュリーに変へました。今日から私をジュリーと呼んで下さい」
ホワイトハウスを群集が取り囲んで暴動が起きるかもしれない。革命が起きる可能性もある。ビン・ラーディンは息を吹き返しテロを再開する。イラクや北朝鮮は対米ミサイル攻撃の準備を始める。そればかりではない。地球侵攻の機をうかがつてゐたエイリアンが「地球の指導者が精神異常をきたした」と地球に一斉攻撃を加へ、やがて人類は滅亡する・・・・。
言ふまでもないことだが、この混乱は大統領が女性であることから起きたものではない。大統領がはじめから女性候補者として選挙に出てゐればなんの問題もなかつた。現職のアメリカ大統領がカミングアウトすればパニックを引き起こすのは当たり前である。
それでは大統領ほど地位のない人間がカミングアウトしたらどうなるか。やはりそれなりに周囲にパニックを引き起こす。パニックを引き起こすことを知りながらやるとすれば、それは一種の愉快犯といふしかない。
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