小泉首相が靖国参拝とのバランスを
とるために行つた小細工
 
「反省」を連発した全国戦没者追悼式の式辞




 小泉首相の靖国神社参拝は保守愚民向けのパフォーマンス、と書いたことがことがある。小泉首相が公約通り八月十五日参拝を実行した今も、その意見に変化はない。

 
 小泉首相の八月十五日靖国参拝に拍手喝采した人たちは、小泉首相が靖国参拝のあと、全国戦没者追悼式に参列して式辞を読み上げたのを聞いただろうか。次がその全文である。

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 天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族及び各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。

 先の大戦では、多くの方々が、戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは戦後、遠い異境の地に亡くなりました。

 また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。

 終戦から六十一年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。

 世界中の各国・各地域との友好関係が、戦後の日本の安定を与えてくれていることも忘れてはなりません。

 私達は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく次の世代に継承する責任があります。

 本日、ここに、我が国は、戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持し、平和国家日本の建設を進め、国際社会の一員として、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していくことを誓います。平和を大切にする国家として、世界から信頼されるよう、全力を尽くしてまいります。

 終わりに、戦没者の方々の御霊の安らかならんことと、戦没者遺族の今後の御平安と御健勝を心からお祈り申し上げて式辞といたします。


 平成十八年八月十五日

 内閣総理大臣 小泉純一郎

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「多大の損害と苦痛」「深い反省」「過去を謙虚に振り返り」などは、小泉首相の談話ではすっかりおなじみになった謝罪とお詫びのフレーズだが、今回の式辞で特筆すべきことは、「反省」という言葉が二度に渡って使われていることだ。まず、「国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します」と述べ、 後段で、「我が国は、戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持し」と再び「反省」が登場するのだ。

 小泉首相の過去の全国戦没者追悼式式辞をみると、「反省」が登場するのは一回に限られていた。

・平成十三年
《国民を代表して、ここに改めて深い反省の意を表するとともに》

・平成十四年
《国民を代表して、ここに深い反省の念を新たにし》

・平成十五年
《国民を代表して、ここに深い反省の念を新たにし》

・平成十六年
《国民を代表して、深い反省とともに》

・平成十七年
《改めて過去の戦争への反省を示すとともに》

 ところが、今年の式辞では、
《国民を代表して、深い反省とともに》
のほかに、
《戦争の反省を踏まえ》
という新たな自虐フレーズが加わったのだ。しかも「戦争の反省」というより直截的な表現が。

 その意図はなにか? 

 小泉首相は靖国を参拝するたびに、自虐談話と呼ぶしかないお詫びと反省の談話を発表してきた。平成十三年八月十三日に前倒し参拝した際の談話などひどいものだ。

《とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています》

 靖国の英霊を冒涜するような談話や所感を発表しながら、靖国参拝を繰り返してきたのが小泉という人なのだ。これらの談話は言ってみれば、靖国参拝する弁明のために発せられたメッセージだ。平和主義者であることを強調し、靖国参拝とのバランスをとるために発せられたメッセージとも言える。いづれにせよ、これらの自虐談話は靖国参拝とセットになっている。

 今回は靖国参拝問題で長々と記者会見に応じたこともあってか、靖国参拝に関する談話はなかった。で、自虐談話に代わるものとして、全国戦没者追悼式式辞の自虐度を加味した。そんなところだろう。一国の宰相がやるにしては情けない小細工である。

 全国戦没者追悼式で、小泉首相が急いてでもいるかのように式辞を早口で読み上げたのは、式辞の小細工を国民にさとられないようにという配慮が働いたのかもしれぬ。

 小泉首相の靖国参拝に拍手喝采する人たちはおそらくご存知あるまい。小泉首相の靖国参拝に反対する人たちも、小泉首相が発した「侵略」「反省」談話には高い評価を与えていることを。
 
 小泉首相の靖国参拝は保守派向けのパフォーマンスだった。中韓やマスコミの反発とは裏腹に、国民に対する靖国参拝効果が絶大なことを小泉氏は敏感に察していた。首相は靖国に参拝すべきだと考えている人々は、小泉首相を一貫して支持してきたはずだ。小泉首相の支持率が底割れすることは結局なかった。保守層が終始支持したからである。靖国参拝は政権末期まで小泉首相の動静が注目されるという効果も生み出した。小泉首相の靖国参拝を評価する人々は、皇室典範改悪を強行しようとした小泉首相の罪科にさえ目をつぶった。これが靖国参拝効果でなくてなんであろう。

 水鳥の羽音におびえて迷走参拝を繰り返し、そのたびに弁明的自虐談話を発表し、退任間際になって「意地」をみせつつ、全国戦没者追悼式式辞の自虐度を増してバランスをとることも忘れない。このような総理大臣の八月十五日参拝にはたしてどれほどの価値があるのか。

 迷走参拝を反省するなら、迷走参拝とともに発した自虐談話こそを反省すべきであった。しかし、小泉首相には自虐談話に対する反省のかけらもない。小泉首相が残した数々の自虐談話が、八月十五日の靖国参拝によって帳消しになるわけでもあるまい。



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