小泉パフォーマンスと中曽根パフォーマンスの類似性

中曽根元首相の大罪は不敬参拝にある

諸悪の根源が靖国懇報告書




 小泉首相の靖国参拝を報じる新聞に「有終の美」といふ見出しが踊つてゐるのをみて驚愕した。

 有終の美とは辞書によると、「最後までやり通し立派な成果をあげること」とある。学校でこつこつ勉強し、はじめは目立つた成果があがらなかつたが最後は立派な成績を残して卒業したといふ場合などに使ふのがふさはしい言葉と言へよう。試験のたびにカンニングを繰り返した生徒がどのやうな成績をあげようとも、誰も「有終の美」とは呼ばない。カンニングとは言ふまでもなく不敬参拝及び自虐談話のことを指す。

 八月十五日参拝の公約を最後に果たしたんだから立派なものではないか、といふ声が聞こえてきさうである。「最後」のタイミングが問題だ。聞くところによると、小泉首相は最初の参拝を前倒したことをかなり早い時期から後悔してゐたといふ。にもかかはらず、八月十五日参拝に踏み切らうとせず、その後四回にわたり怯懦故の迷走・不敬参拝を選択した。今回の八月十五日参拝は辞める間際だつたから実行しえたにすぎない。辞める直前だからこそ実行できたことを「有終の美」と呼ぶのは言葉の誤用である。
 
 いじめを受け続けてきた少年が言ふ、「あいつら、いつもボクをいじめてきた。だからいつか見返してやらうと思つてゐた」。「いつ行つても批判される。それならいつ行つても同じ」と八月十五日参拝を決行したといふ小泉首相の解説は、いじめを受けてきた少年が卒業式後のお礼参りを心に秘めつつ暴力に耐えるといふ話を連想させる。

「いつ行つても批判される」なんて、一国の総理大臣が公の席で言ふべきことではない。自分がおつかなびつくり靖国参拝を続けてきたことを告白してゐるやうなものだ。同時にこのコメントは、中国韓国が靖国問題で外交的勝利をおさめてきたことを物語つてゐる。

 小泉首相が靖国参拝のたびに侵略戦争談話や反省談話を発表したのはその怯懦のなせるわざである。「小泉首相は靖国に六回も参拝してくれた」と喜んでゐる人たちはなぜか小泉首相の自虐談話に触れようとしない。小泉首相が靖国参拝を実行してきたことで自虐談話を免責してゐるとしか思はれない。

 小泉首相が自虐談話を発表し続けたのは、保守派から自虐談話を非難する声があがらなかつたことにも原因がある。保守派からは参拝時期について失望する声は聞かれても、日本を侵略国よばわりしたり昭和殉難者を戦争犯罪人よばわりしたことを非難する声はついぞ聞かれなかつた。小泉首相からしてみれば、靖国を参拝しさえすれば、いくら自虐談話を発しようが保守派は自分を見放さないと判断したのも無理はない。

 小泉首相の靖国参拝を評価する人たちは、小泉首相が靖国神社の階段をのぼるパフォーマンスしか見ない。他方、反日勢力の小泉攻撃しか見ない。条件反射的に、中国が攻撃する人は正しい人、朝日新聞が反対することは正しいことと思ひ込んでしまひ、「中国の恫喝に屈さない小泉サン」「朝日新聞のい圧力に負けない小泉サン」といふイメージをつくりあげる。内外の反日勢力の言動を追跡してみれば、これら勢力が小泉首相の自虐談話や不敬参拝に深い満足を覚えてゐることゐ容易に分かるだらうに。

 朝日新聞はことし八月十五日の社説にかう書いた。

《ちょうど、1年目のきょう、首相は戦後60年の節目に談話を発表した。「植民地支配と侵略によりアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えた」「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する」
 東条英機元首相らA級戦犯について、首相は「戦争犯罪人である」と明言し、東京裁判を受諾したという政府 の見解を変えるつもりはない。
 ここに見える首相の歴史認識は、中国や韓国が求めるものとほとんど食い違いがないと言っていいだろう。》

 小泉首相がさうした歴史認識を持つならば中国韓国が反発する靖国参拝をやめるべきであると社説は説くわけだが、ここで看過できないのは、小泉首相の「歴史認識」が朝日新聞からお褒めの言葉を頂戴するまでになつたといふ事実だ。日本国民は、自民党総理の「歴史認識」がいつの間にやら朝日新聞はもとより中国韓国の歴史認識と「ほとんど食い違いがない」といふ状況に立ち至つたことに恐怖を覚えるべきではないか。

 さて、改めて説明するまでもなく、総理大臣の靖国参拝問題を近隣諸国の外交カードにさせたのは中曽根内閣時に端を発する。

 昭和六十年八月十五日に靖国神社を「公式参拝」した中曽根首相は、中国の恫喝に屈して、以後靖国参拝をとりやめた。一方、小泉首相は、中国韓国の恫喝にも屈することなく六回もの靖国参拝を果たした。これが大方の評価であらう。小泉首相と中曽根首相の靖国参拝の評価は百八十度違ふ。しかし表面的な現象とは裏腹に、その内実は驚くほど酷似してゐる。

 昭和六十年当時の政治状況を省みると、中曽根首相の犯した罪状といふのは、中国の恫喝に屈して翌年八月十五日の参拝を中止したことにあるのではないことに気がつく。中曽根首相の歴史に残る罪状は、昭和六十年八月十五日の靖国参拝それ自体にあつたのである。

 中曽根首相は、神社側のお祓ひも受けず、SP四人を引き連れて本殿にあがり込み、一礼しただけで退出した。神道の作法をまつたく無視した態度に当時の松平永芳宮司は激怒した。

 後年、松平永芳宮司は述懐してゐる。
 
《その時、私が言いましたのは、手水を使わないのはまあ宜しい。これは自分の家できちっと潔斎してくれば、それは心がけ次第だ。それから二礼二拍手というのも、これは中曽根氏のやることで、いくらかっこうばっかりやっても、心がなければしょうがないんだから、心をこめて拝をすれば、それはそれでもこちらからとやかくいうことではない、と譲りました。けれどもお祓いを受けないのは困る。お祓いは神社のやることで、火とか塩とか水で清めるというのは日本古来の一つの伝統習俗です。津地鎮祭で合憲とされたのと同じ習俗だとすれば,それを拒否することにもなる。ところが先方では、宗教法人たる靖国神社がやる行為だから困るという回答なんです。そこでそれならばやむをえないから、結局うちはうちでお祓いをする、いわゆる陰祓いをすることにしました。ただお祓いはひとり靖国神社だけの問題ではなくて、全神社界に関係する非常に大きい問題だから、ここでは即答できない、明日回答するということで、わざと間合をとったんです。そのぐらい大きい問題ですぞ、という意味をわかってほしかったのです。》

 松平永芳宮司は八月十四日、藤波官房長官に直談判する。

《翌日、先方が回答をとりに来た時に、私が要求したのは、神社の神様に対する礼儀として、中曽根総理サイドの責任者が、今度はこういう方式でお参りをさせていただきたい、ということを願いに出に来られるのが当然でしょう、と申しました。そうしたら、それはもっともだとして八月十四日に藤波官房長官が来られた。そこで私は、はっきりお話したんです。神社というものはこうだ。私がおそれるのは、本質が崩れていくということだ。よその神社でも知事なんかの公式参拝について、中曽根方式なら憲法に抵触しないということで、同じように祓いも受けないということになったら、神社参拝の本質が崩れてしまうことになるだろう。これは、単にうちだけの問題じゃないから、この点を私は非常に重要視して、先方でいう参拝のしかたで宜しゅうございますよ、とは簡単にはいえない。ただ、今回こちらはやむなく目立たないように陰祓いをしますが、そっちはあくまで祓いを受けなかったということでも結構です。ということで、結局、幕をコの字型に張りまして、記帳台を置き、神社としては総理の記帳時、外から見えないようにしてお祓いをしたんです。けれども、私は挨拶に出ないということを官房長官に言ったんです。それは、いかになんでも人の家に泥靴で踏込むような人の所に宮司が出ていって、よくぞいらしゃいました、ということは口が裂けてもいえませんから、私は社務所にいて出ないことにしました。》

 中曽根首相は松平宮司からみると、「人の家に泥靴で踏み込むような人」だつた。

《あの時、総理は武道館での全国戦没者追悼式に参列した後、時間調整のためそこでお昼を食べ、遺族なんかを参道に並ばせておいて、それからやってきました。非常に芝居がかった演出だといっては適切ではないかもしれませんけれど、神門から拝殿までの間に、ずっと遺族さん方が並んで拍手で迎えるように取仕り切り、参道の総理に手を叩いている。まるでショーのようなつもりでやってるんです。
 しかも、あとで夕刊を見て驚いたのは、うちの荒木禰宜が先導して中曽根総理、それから幕僚として厚生大臣と藤波官房長官を従えているのはよいとしても、その横に四人のボディーガードを連れて行動していたんですね。私は前日、藤波氏に条件として、記帳したあと、拝殿から中の、いわゆる神社の聖域にはボディーガードなんか連れて行かないでくれ、と申しておけばよかったと後で後悔しました。まさかそんなことをするはずがないと思っていました。うちの神様方というのはみんな手足四散して戦場でなくなった方が大部分です。そこへ参拝するのに自分の身の安全をはかるため、四人もぴったりとガードをつけるなんていうのは、無礼・非礼のきわみというほかありません。》

 ここで松平宮司が「政治ショー」といふ言葉を使つてゐるのは興味深い。八月十五日の靖国参拝が中曽根首相のパフォーマンスにすぎないことが松平宮司にはよくみえてゐた。

 中曽根首相は松平宮司を頑迷固陋と罵倒したと伝へられるが、実は、松平宮司を頑迷固陋扱ひしたのは、中曽根首相や政府首脳たちだけではなかつた。松平宮司はこんなことも語り残してゐる。

《あの時はその直前に私は遺族会とか英霊をたたえる会等の主だったかたによばれました。私が非常に厳しいことをいうものですから、今度は靖国問題懇談会できめた以上、もうゴタゴタいわないで呑んでくれ、というようないいかたをしてきたんです。先方が神社に来るのではなく、私を呼出して、相当に大勢の方々で、いわばつるしあげのようなかっこうで、強引に迫ってきたのです。》

 中曽根総理が手水を使はなくてもいいではないか、二礼二拍手でなくてもいいではないか、お祓ひを受けなくてもいいではないか、、と松平宮司は吊るしあげをくらつたといふのだ。吊るしあげたのは、遺族会や英霊をたたえる会の幹部たちだつたといふのだから驚くにたへない。これら保守諸団体の代表は中曽根首相が八月十五日に参拝を行つた後、コメントを発表した。「まことに意義深い」「中曽根総理に感謝したい」・・・・。松平宮司はひとり憮然としてゐた。

 なんとよく似た光景ではないだらうか。中曽根パフォーマンスと小泉パフォーマンス。保守派の面々は、参拝方法など細かいことはとやかく言ふべきではない、と総理のパフォーマンスに喝采を送る・・・・。

 松平宮司は何に対して怒つたのか? 中曽根首相が中国の圧力に屈して参拝をとりやめたことをか? 中国や内外マスコミの反日攻勢に対してか? いづれでもない。中曽根総理の「不敬参拝」に怒つたのだ。

 中曽根首相は戦後政治の総決算を掲げ、八月十五日の靖国「公式参拝」に並々ならぬ意欲をみせた。その下準備として、昭和五十九年に官房長官の私的諮問機関「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」(靖国懇)を発足させた。靖国懇の目的は、総理大臣の靖国参拝は憲法上問題がないといふお墨付きを出させ、そのための理論整備をすることだつた。合憲のための第一条件は参拝方式から宗教色を一切排除することだつた。

 靖国問題をここまで紛糾させた元凶は、靖国懇の報告書にあると私はみてゐる。なぜか? 昭和六十年八月九日に出された報告書には次の一節がある。

《昭和五十年ごろから、(略)従来、内閣総理大臣その他の国務大臣が靖国神社に私的資格で参拝していたことについて、公的資格で参拝(いわゆる公的参拝)すべきであるとの運動が展開された。》

 この文言が持つ重大な意味を指摘した人はゐない。

 今ではよく知られてゐるやうに、戦後、我が国の首相はたびたび靖国神社に参拝してきた。東久邇首相一回、幣原首相二回、吉田首相五回、岸首相二回、池田首相五回、佐藤首相十一回、田中首相六回。ところが靖国懇報告書は、これら歴代首相は「私的資格で参拝していた」と断定してはばからないのだ。

 総理大臣の靖国参拝が私的か公的かが問題になるのは、三木首相が昭和五十年八月十五日の参拝に際して、「私的参拝」と表明してからのことだ。それまでは、総理に「私的参拝か公的参拝か?」と聞くアホな新聞記者もゐなかつた。総理も自分の参拝が公的か私的かなどといふ意識すら持つてゐなかつた。歴代首相の靖国参拝はまぎれもなく「公式参拝」だつた。しかし靖国懇報告書は吉田首相も佐藤首相も靖国神社に「私的資格で参拝していた」とあつさり言つてのけるのだ、何の根拠もなく。

 これまで首相がおこなつてきたのは私的参拝。今後首相が行ふべきは公式参拝。これが靖国懇報告書の分かりやすすぎる論理だ。

《以上の次第により、政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきであると考える。》

 かくて、靖国懇報告書の推奨する非神道参拝方式を全面採用し、中曽根首相は八月十五日に「公式参拝」を果たした。中曽根首相は戦後初の「公式参拝」を敢行した総理大臣として日本の歴史に名をとどめるはずだつた。その人物が、中国に完全屈服した戦後初の総理大臣として記憶されやうとは・・・・。

 うがつた見方をすれば、中曽根首相は自分の靖国参拝を「戦後初の公式参拝」と位置づけるために、過去の総理参拝を「私的参拝」に貶めたといふこともできるだらう。



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