教育基本法改正の狙ひはジェンダーフリー導入
フェミニズム汚染官庁「文科省」の陰謀



 文部科学省がどれほどフェミニズムとジェンダーフリーに汚染されてゐるかといふことを書きたいと思ふ。

 各省庁のフェミニズム汚染度やジェンダーフリー政策を調べて分かつたことは、フェミニズム汚染度百%といふかそれを専門の仕事にしてゐる内閣府・男女共同参画局を別格とすれば、文部科学省のフェミニズム汚染度は他省庁に比べて明らかに突出してゐるといふことだ。

 役人からしてさうだ。文部科学省の役人は上のポストほどフェミニズム汚染度がひどく、例へばついこの間まで次官をつとめ、寺脇研とともに「ゆとり教育」の旗を振つてゐた小野元之といふ人物などは超がつくほどのフェミニストで、文科省関連施設の中に託児所をつくつて喜んでゐたといふエピソードがある。

 「ゆとり教育」の失敗で明らかになつたやうに、我が国教育の「破壊勢力」は文部科学省といふ認識は一般化しつつあるが、「ゆとり教育」と並ぶ文部科学省の罪科が「ジェンダーフリー教育」にあることを忘れないでほしい。「ゆとり教育」の化けの皮ははがれたが、ジェンダーフリー教育はエイズのやうに猛威を振ひ続けてゐる。

 文部科学省のフェミニズム汚染ぶりを示すいい文書がある。中央教育審議会が平成十二年四月にまとめた「少子化と教育について」といふ報告書である。報告書の冒頭を読んでみよう。

《特に強調したいのは、「子供は社会の宝であり、社会全体で子供を育てていく」ことが大切であるという考え方である》

 社会全体で子供を育てる。これがキーワード。マルクス・エンゲルス以来のユートピア、男女共同参画社会が目指すユートピア、それが「社会全体で子供を育てる」だ。その先ではかう言ふ。

《子育てをしながら働き学ぶことができる環境を整備するに当たっては、女性が子育てを行うといった考え方ではなく、男女が共同して子育てを行いながら仕事や学業も両立させる「子育てをしながら働き学ぶ」といった考え方が大切である》

 「女性が子育てを行うといった考え方」を否定した上で、「男女が共同して子育て」を行ふことを推奨する。フェミニズム語の羅列。やがて話は男女共修家庭科に及ぶ。

《特に高等学校段階においては、平成六年度から「家庭科」が男女必修となり、すべての生徒が、男女が互いに協力して家庭を築き、子供を産み育てることの意義などを学習できることになっている。(中略)こうした教育を受けた世代が将来社会を担い、男女が共同して安心して子供を産み育てることができるような社会が実現することを期待したい。》

 すべての高校で男にも保育を教へれば、男女が共同して子供を産み育てることができる社会が実現するとほざいた上で、理想的な社会の到来を妨害してゐるのは何かと問ひかける。
《子育ての喜びと働く喜びを同時に得ることができる社会を築くためには、男女共同参画に係る広報・啓発活動を推進することなど、固定的な役割分業の是正を図るとともに、弾力的な労働時間制、在宅勤務等多様かつ柔軟な働き方ができるような取組を行うファミリー・フレンドリー企業の概念を普及・定着するなど、職場優先の企業風土の是正を図ることが必要である。》

 中教審の報告書に「ファミリー・フレンドリー企業」(子育て支援に熱心な企業のこと)といふ言葉が登場することに注目したい。そして、悪いのは固定的な性別役割分業と職場優先の企業風土であるといふ結びの言葉にも注目したい。この「少子化と教育について」報告書は文科省と中教審がフェミニズム路線を公然と走り始めた宣言文書とみるべきだ。

 おまけにこの中教審報告書は、新しい教育基本法にジェンダーフリーを盛り込むレールも敷いた。中教審が昨年十一月に発表した教育基本法改正の「中間報告」は、「少子化と教育について」報告を前提にして読めば、道筋がよく分かる。

 《現在では、男女共学の趣旨が広く浸透するとともに、性別による制度的な教育機会の差異もなくなっているが、社会における男女共同参画は、まだ十分には実現しておらず、男女が互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会を実現することが重要な課題となっている。今日、教育・学習のあらゆる場において、男女共同参画社会の実現や男女平等の促進に寄与するという新しい視点が重要となっていることから、このことを教育の基本理念として規定することが適当と考える。》

 云つてゐることは、先ほどの「少子化と教育について」報告とまつたく同じ。中間報告にジェンダーフリー思想が盛り込まれたのは、最終段階で女性委員が横車を押したからとみる向きもあるが、そんな単純な話ではない。教育基本法にジェンダーフリーを入れることは文部科学省の既定方針だつた。

 本稿を書いてゐる最中に、中教審は教育基本法改正最終答申の素案なるものを基本問題部会に示した。予想通りといふべきか、基本理念の中に「男女共同参画への寄与」といふ文言を入れることをいよいよ求めてきた。

 産経新聞は素案に「男女が互いに敬重し、協力する」といふ趣旨が入つたと喜び、「中間報告にあった記述を大幅に削除、精選し、男らしさ女らしさまで否定するジェンダーフリー教育と一線を画した」などと寝ぼけたことを書いてゐる。
 教育基本法に「男女共同参画社会」といふ言葉が入つたら終はりである。文科省にすれば「男女共同参画社会」といふ言葉さへ盛り込むことができれば、前後の言葉などどうでもいいのだ。

 教育基本法に「男女共同参画社会」といふ文言が入ることは、教育基本法と男女共同参画社会基本法がドッキングすることを意味する。この記事を書いた記者は、男女共同参画社会基本法案が上程された国会で、野中官房長官(国旗国歌法と男女共同参画社会基本法を裏取引した張本人)が次のやうな答弁をしてゐることを御存知ないらしい。
 「まず、ジェンダーについてのお尋ねでございますが、ジェンダー、すなわち社会的、文化的に形成された性別とでも訳すと存ずるわけでございますが、この言葉は一般的には大変理解しにくいということでございますので、この基本法案におきましてはこの言葉は直接用いておりませんが、議員が御指摘のジェンダーについては、第四条の性別による固定的な役割分担等という言葉にあらわされていると考えております。」

 基本法んはジェンダー(フリー)といふ言葉は使つてないけれどもジェンダーフリーの概念が基本法第四条にこめられてゐる、とちゃんと明言してゐるのである。

 ジェンダーフリー基本法たる男女共同参画社会基本法に加へて、ジェンダーフリー教育基本法まで出現したら、ジェンダーフリー教育の嵐はいよいよ手がつけられなくなるだらう。「教育基本法はジェンダーフリーとは違ひます」といふ政府答弁をいくら引き出しても空しいのである。

 自民党からどれほど突つかれても教育基本法改正にソッポを向いてきた文科省が、基本法改正に乗り気になつてきたのはここ二、三年のことだ。それには大いに訳がある。私見によればその訳とは、
一、ゆとり教育失敗のカムフラージュ
一、教育基本法に男女共同参画を闡明する魅力
一、基本法とセットになつた教育振興基本計画の魅力
の三つだ。

 急いで説明すると、まず教育基本法改正に教育問題の関心を集中させることによって、学力低下及びゆとり教育の失敗から国民の目をそらさせることができる。改正教育基本法の柱は「生涯学習」で、「生涯学習」は学校で慌てて勉強する必要はないといふ「ゆとり教育」の別名だから、その意味でも「ゆとり教育」路線の温存を図ることができる。

 次に「男女共同参画社会の形成」を基本法に謳ふことによつて、文部科学省の仕事としてフェミニズム行政が名実ともに認知される。

 それから、基本法の中に「教育振興基本計画の制定」規定を盛り込めば、教育振興基本計画(五年程度の短期目標)を文教予算の確保に利用することができる。

 ゆとり教育は世論の指弾を浴び、傘下の特殊法人は次々に廃止され、ボロボロになつた三等官庁の起死回生の救世主、それが教育基本法改正といふわけだ。「国を愛する心(愛国心)」といふエサで自民党をつり、なりふり構はず教育基本法改正に突つ走る文部科学省の真意を見誤つてはならないと声を大にして言ひたい。

 ここで文科省のフェミニズム汚染の例証をいくつかを紹介しておかうか。
 文科省が推進するジェンダーフリー教育の中でも、極め付きは「ゼロ才児からのジェンダーフリー教育」事業だらう。文字通り赤ん坊のうちからジェンダーフリーの精神を身につけさせようといふ人間改良思想にもとづく変態的な試みで、全国の幼稚園や民間団体になどに委嘱して幼稚園児にジェンダーフリーの実験を施してゐる。昨年、香川県の幼稚園では同事業の一環としてジェンダーフリー人形劇を上演し、その模様を四国新聞は次のやうに伝へた。

《子ども本来の力を、偏見で押しつぶさないで―。「子どもと女性のエンパワーメント香川」(宮内大子代表)が二十八日、高松市屋島中町ののぞみ幼稚園(樫村エミ園長)で、ジェンダーフリーに関する人形劇を上演。四歳児十五人に「男だから、女だからというイメージで役割を決めつけないで」と訴えた。

 ジェンダーフリーとは男はたくましく、女は優しくといった文化的、社会的に作られた性差にとらわれない考え方。同団体は偏見や差別が、人間が持って生まれた力を十分発揮できなくするという考え方に基づき、文部科学省から委嘱を受けて「〇歳からのジェンダー教育推進事業」を行っている。

 寸劇ではお父さんとお母さん、子どもの人形が登場し、「おなかがすいたのにお母さんは大忙し。こんな時、みんなもお父さんも、できることがあるよね」と問い掛け。最初、園児たちは「待つ」などと答えていたが、徐々に「お父さんがごはん作ってくれる」「ぼくはお母さんのお手伝いをする」と話していた。その後、同幼稚園を拠点に活動する子育てサークル「トコトコクラブ」の母親らを対象とした寸劇も上演。「その子らしい幸せをつかむ手助けに、ジェンダーフリーの教育を知って」と呼び掛けていた。》

 お父さんやお母さんが登場する寸劇だ。園児たちは面白がつて見るだらう。かうして、お父さんがごはんを作らないのは罪悪であるといふ巧妙な刷り込みが行はれる。 幼稚園は文部科学省の管轄、保育園は厚生労働省の管轄だから、幼稚園のジェンダーフリー教育の指導は文部科学省が行ひ、保育園のジェンダーフリー教育の指導は厚生労働省が行つてゐる。

 文部科学省が実施したフェミニズム事業には「女性のエンパワーメントのための男女共同参画学習促進事業」なんてのもある。女性のエンパワーメントとは「女性が自分の生活を支配する力と権利を確保すること」ともっともらしく説明されるが、要するにフェミニズム活動ならなんでも支援しませうといふ趣旨。

 全国の団体に委嘱した事業をみてみると、「性暴力を防ぐためのエンパワーメント事業」「ストップ・ザ・DV実行委員会」「ジェンダーの視点からリプロの窓を開く」「暴力や虐待を受けた女性や子供達への支援者養成とネットワークづくり」「女性に対する暴力被害者のためのサポーター養成事業」とおどろおどろしいテーマが並ぶ。ドメステックバイオレンス(DV)と文部行政がどういふ関係にあるのか誰も分からない。

 エンパワーメント事業の委嘱先には「ガールスカウト日本連盟」の名前も見える。委嘱したテーマは「男女の役割それでいいの?」で、その趣旨は次のやうに説明されてゐる。「子供の社会教育活動に携わる野外活動指導者(青年男女)の社会的、慣行的性別役割分担意識を是正し、人権意識にもとづいた男女平等観の形成を促進するために、男女平等を推進する学習の場を提供する」。

 野外活動指導者の慣行的性別役割分担意識の是正だと。これが我が国の教育行政を司どる官庁が税金を使つて実施してゐる事業なのだから驚かざるをえない。文部科学省に許認可権限を握られてゐる団体はみんなジェンダーフリー洗脳教育を施されてゐるはずだ。

 文部科学省の関連団体に「独立行政法人国立女性教育会館」といふ組織がある。略称「ヌエック」。埼玉県嵐山町の広大な敷地に立派な会議場や宿泊施設を持つ。二年前に「国立婦人会館」から「国立女性教育会館」と改称され、「独立行政法人国立女性教育会館」となつた。独立行政法人化して設置目的の中に「男女共同参画社会の形成の促進に資する」といふ文言が加はつた。

 一応「女性教育に関する我が国唯一のナショナルセンター」といふことになつてゐるが、女性教育とはジェンダーフリー教育のことだから、我が国唯一の国立ジェンダーフリー教育研究所と呼ぶことができる。

 ヌエックはフェミニストのメッカで、会議場ではフェミニストのお祭り騒ぎが年中くりひろげられてゐる。昨年ここで開催された「女性学・ジェンダー研究フォーラム」には全国から二千人のフェミニストが参集、主催者は「昨今激しくなつてゐるバックラッシュに対抗するには理論武装が必要だ。その手がかりをここで得てほしい」と激を飛ばした。

 「教師のための男女平等教育セミナー」なども開催され、文部科学省の男女共同参画学習課長らを講師に、全国から集まった教師にジェンダーフリー思想を宣布してゐる。ヌエックが刊行する研究誌は「フェミニズムとのクロスワード」「ジェンダー平等教育への取り組み」などジェンダーフリー一色。埼玉県の山奥にジェンダーフリー情報の発信基地があることなど国民は知るまい。

 以上述べたのは、ジェンダーフリー行政のほんの一端にすぎない。内閣府・男女共同参画局は各省庁の男女共同参画推進関係予算を公表してゐるけれど、文部科学省の男女共同参画推進関係予算は平成十四年度で実に九百三十四億円にのぼる。この予算の使途を洗ひざらひ調べたらさらに興味深い事実が発見できるに違ひない。

 自国民を下等動物におとすために国家が巨額の予算を投じてゐる国家といふのは、歴史上例がない。ジェンダーフリーは人間から嗜み、礼儀、羞恥心を奪ふ。外見的・内面的に男と女を特徴づけるものをジェンダーとして剥ぎ取つていけば、最後にオスとメスの本能だけが残る。かうしたジェンダーフリー社会は、まるでかつてボードレールが「ここには雄と雌がゐるだけだ。男女間の慇懃といふものは存在しない。身だしなみといふものもない」と表現した売春婦だらけの低級国家(「哀れなベルギィ」)の姿に似てゐる。オスとメスの本能をむき出しにした低脳児ばかり再生産する文部科学省といふ役所は解体するに如くはない。


トップページに戻る | 

.