古  代  史  を  見  直  そ  う


古代史を見直す会HPへようこそ

戦後の古代史について原点から見直します。

2001/2/14ホームページを新しく創りました。

2004/11/8全面改訂しました。

2004/12/31第三章第四章を掲載

2005/1/31第五章第六章を掲載

和歌山市 布引三七三  池田  宏


古代史学界の隠蔽体質を問う


戦前には、我が国の古代史は『日本書紀』と『古事記』の記述を基にして語られました。それは両書が我が国で最も古い歴史書であったからです。
この『日本書紀』には、日本国の始まりについて「辛酉年の春正月、庚申の朔、(神武)天皇、橿原宮に即帝位す」とあります。

さて明治になり暦法が「旧暦」(太陰暦)から『太陽暦』に改暦されましたから。この『日本書紀』の辛酉年も「太陽暦」に換算され。紀元前六百六十年の二月十一日にあたることが判明しました。
そういうわけで「二月十一日」が紀元節と定められたわけです。戦後は「建国記念日」となっていることは周知のとおりです。


しかし我が国は紀元前六百六十年に建国された。という説を知っている人も少なくなりました。
戦後は「紀元前六百六十年の神武建国」などは全く根拠のない説だと、否定されてきましたから。おそらく六十歳以下の人々は神武天皇などは架空の人物だと、信じられているのではないでしょうか。

どうして「紀元前六百六十年の神武建国」などは根拠のない説だと信じられたか、と申しますと。「我が国には四世紀ごろに始めて文字が伝来した。したがって記録術のない時代の記事は、後世の創作であって、事実ではない。」と考えられたのです。
戦後、昭和四十年代までに書かれた歴史書には、大抵そう書かれていますから、読み返して頂ければ分かります。

この説、というか思想には、激しい潮流のような勢いがあったのでしょう。この方面に暗い一般の人々が信じさせられた、だけでなく。この方の専門家である歴史学の教授とか助教授などの人々もすべてこの方向へ流されたのです。
また大学の専門家だけではありません。在野の学者(評論家)?を自任する「松本清張氏」なども、その先頭にたって「こんな説(日本書紀)には、何の価値もない。」と言い切っていたものです。
「松本清張氏」は在野精神の旺盛な、反権威主義者と思われていますが。権威崇拝主義の一面もあったようで、「東京帝国大学」とか「京都帝国大学」の説を検証もせずに、有り難がるところがありました。


しかし「我が国には四世紀ごろ始めて文字が伝来した。したがって記録術のない時代の記事は、後世の創作であって事実ではない。」という考えには、根拠など何一つありません。まったく妄想としか云いようのない、出所不明の説です。

あまりのひどさに、私も見過ごすことができなくて、昭和五十二年に『古代史学に対する疑問』という小著を刊行して、その憶説には全く根拠がなく、アベコベに三世紀以前の日本列島には文字が用いられていた実例は数多くあることを指摘しました。
どれほどの方に読んで頂けたか分かりませんが。現在では「四世紀以前には文字は無かった」と主張される歴史学者はいません。


さて「四世紀以前には文字は無かった。」という説を主張する学者はいなくなりましたが。その反省に立って古代史を見直した、という話も聞きません。
これは一体どういうことでしょう。?
古代史学界は「四世紀以前には文字はなかった、だから『日本書紀』や『古事記』には歴史資料としての価値はない。」と言い続けて『日本書紀』や『古事記』を無視してきたのです。

四世紀以前には文字がなかった、という説は誤りと判っても、なお『記紀』には歴史資料としての価値がないと考えられるのでしょうか。そうであれば、その理由は何でしょうか。古代史学者には説明をする責任があるでしょう。
古代史学界は過去に
四世紀以前には文字は無かった。」という無根拠の説を振り回して国民をミスリードしてきたのです。悪意は無かった、と弁解されるかも知れません。多分そうでしょう。悪意はなかったと思います。しかし結果としては国民を欺いてきたことに変わりはありません。

面子にこだわってうやむやに済まそうとするのでは、学者として責任を問われるでしょう。またそのようなことは、いつまでも隠蔽できるわけはありません。

これらの点について、説明責任を果たすよう強く要求しておきます。


次に「記紀から真実の歴史がわかってたまるか。神武建国を裏付ける史実など見つけられるわけがない。」と、現在でも云う古代史学者もいると聞きますが。そのような無責任なことでは困るのです。一歩でも真実に近づけるのが歴史学者の責務でしょう。
誤った古代史を教えられる子供達が気の毒です。


 『記紀』や『魏志倭人伝』には不自然・不合理な記事もありますが。それは事件が発生してから、『記紀』や『魏志倭人伝』に記録されるまでの経過の間に、どこかで人間的なミスがあったために、生じたものに違いありません。理由もなく、ありもしない事件をでっち上げて、正史に記録するわけはないでしょう。

例えば、『神武建国』を創作しなければならない動機・理由などあるでしょうか。それをでっち上げて大和朝廷はどのような利益があるのでしょうか。
『記紀』には前述したように不合理な記事もあり、誤っている、と判定しなければならない記事もあります。しかしそれらの誤りは人間的なミスから生じたと考えて、だいたい解決します。

『記紀』を歴史資料として用いれば、真実により近い歴史を構築できるのは間違いありません。


それほど云うのであれば、自分でして見せろ。と当然、反論があるでしょう。また「隗より始めよ」という言葉もありますから。拙文ではありますが、次ページ以下に愚見を述べ、真実の日本古代史発見の先鋒を勤めてみたいと思います。

序論
『魏志倭人伝』と『記紀』との照合
『八岐大蛇神話』の原事実     
『天孫降臨と国譲り神話』の原事実」
『神武東征』の原事実と大和朝廷がルーツ発見に失敗した理由(上)
『神武東征』の原事実と大和朝廷がルーツ発見に失敗した理由(下)